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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)372号 判決

控訴人

榎本昭

被控訴人

株式会社近代産研

右代表者

石川博明

右訴訟代理人

安田昌資

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金五万円及びこれに対する昭和五三年一月一一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その九を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一被控訴人が旅行業者であること。被控訴人が昭和五二年七月ころから本件旅行の参加者を募集し、同年九月三日ころまでに控訴人との間に本件旅行契約を締結したこと。本件旅行契約は被控訴人の旅行約款の定めるところにより規制されるものであつたこと。本件旅行契約においては、(1) 往復とも北回り便の飛行機を利用すること、(2) 本件旅行の第九及び第一〇日目の宿泊地をローマ市とすること、と約定されていたこと。ところが、被控訴人は、本件旅行において、(1) 帰路に南回り便の飛行機を利用し、(2) 本件旅行の第一〇日目の宿泊地をパリ市と指定したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

ところで、控訴人は、本件旅行契約においては、本件旅行の第五ないし第七日目の宿泊地がミラノ市内にあることが約定されたと主張するので検討するに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は、サンケンヨーロッパファッションツアーと銘を打つて、(イ) 旅行期間を昭和五二年九月六日出発、同月一七日帰国の一二日間、(ロ) 訪問都市をパリ、ミラノ、フローレンス、ローマ、(ハ) 旅行費用を一人当り三九万八〇〇〇円、(ニ) 視察のポイントをパリの皮革製品見本市エス・アイ・シー(九月八日から一二日まで)視察、ミラノの国際靴・皮革製品見本市ミカム(九月一〇日から一四日まで)視察、フローレンス、ローマのブティック視察等、(ホ) 参加人員を三五名と定めた視察旅行の団体客を募集し、右視察団一行の旅行の斡旋をすることを企画したこと、そのため被控訴人は、同年七月ころ、右視察旅行の内容、日程表、旅行費用、参加要領等を印刷した案内書(甲第一号証)を作製し、右案内書を皮革業者に頒布して、右視察旅行への参加者を募集したこと。

(二)  神戸市長田区川西通に本店を置く訴外株式会社七福は製靴業を営む会社であるが、その代表取締役青山大志こと李孟浩は、右視察旅行に乗気になつて、右会社の顧問をしていた控訴人に右案内書を示し、一緒に参加しようではないかと呼び掛けたこと。控訴人は、これに同意し、同年九月三日ころまでの間に被控訴人に対し、右視察旅行に参加することを申し込み、所定の旅行費用は三九万八〇〇〇円を支払つて手続を完了したこと。

右視察旅行には東京都居住者二一名、新潟県長岡市居住者一名、神戸市居住者一二名の合計三四名が参加し、右三四名が視察団を構成したこと。

(三)  被控訴人は、前記案内書の旅行日程表に、第五ないし第七日目(九月一〇日から一二日まで)の宿泊地を「ミラノ泊」と印刷していたので、ミカムの会場に近いミラノ市内に宿泊施設を確保しようと手配したが、ミラノ市内には簡易宿泊施設しか見当たらなかつた。そこで、被控訴人は、同年八月下旬ころ、ミラノ市のミカム会場から北西に約八〇キロメートル離れたマジョーレ湖畔のストレッサ町に所在するホテルレジナルパレスを予約し、そのころ、前記視察旅行に関する出発当日の案内、旅行日程表、ホテルリスト、通貨換算表等を詳細に印刷したプログラム(乙第一号証)を作製したところ、右プログラム中のホテルリスト(これは全文が英語で印刷されている。)には、九月一〇日から一三日まで(一三日午前、ミラノ発の趣旨である。)、ミラノ市、ホテルレジナルパレス、ルンゴ・ラゴ・二七・ストレッサ・二八四九、と印刷したこと。

(四)  被控訴人は、視察旅行の内容・日程等に関する説明会を兼ねて出発前の顔合せを実施すべく、同年八月二九日ころ、視察旅行の参加者全員に対し、右説明会等を同年九月三日に開催する旨の案内状を郵送したこと。

被控訴人は、九月三日に本店の会議室において説明会を開催したが、神戸市居住の参加者らは、訴外東邦ゴム株式会社勤務の訴外笠井庄治を代表者として右説明会に派遣し、控訴人初めその余の者は説明会に出席しなかつたこと。

被控訴人は、右説明会において、ミラノにおける宿泊施設につき、「ミラノ市内ではペンション(バス、トイレが各部屋に付いていないホテル)程度のものしか予約できそうになかつたので、ミラノ市から約八〇キロメートル離れたストレッサにあるホテルレジナルパレスを予約したが、ミカムの視察に支障が生じないようにホテルからミカムの会場まで被控訴人の負担でバスを運行させる。」旨を説明し、出席者の承諾を得たこと。

(五)  被控訴人は、説明会等の機会を利用するなどして、視察旅行の参加者全員に対し前記プログラムを配布したが、控訴人は、同年九月三日か四日ころ、右プログラムを入手し、ミカム視察の際の宿泊施設がストレッサに所在するホテルレジナルパレスであることを知つたこと。

右認定を左右するに足りる証拠はない。

したがつて、右認定の事実によれば、本件旅行契約においては、本件旅行の第五ないし第七日目の宿泊地がストレッサであることが約定され、右ストレッサがミカム会場から約八〇キロメートル離れた地に所在することの説明がなされていたものということができる。ただ、前記プログラム中のホテルリストには、「市」の欄に「ミラノ」と記載され、「ホテル及びアドレス」の欄に「……ストレッサ二八四九」(前示(三)の末尾のとおり)と記載され、注意をしないと、ホテルレジナルパレスの所在地があたかもミラノ市内であるかのように読まれるおそれがあつたことから、控訴人は、ストレッサがミラノ市内に所在し、ミラノ市が宿泊地であると誤認した(本人尋問における供述)のであるが、控訴人自身においても、右宿泊地がストレッサであり、ストレッサ所在のホテルレジナルパレスに宿泊するものであることを認識していたことが明らかである(本人尋問における供述)。してみれば、本件旅行の第五ないし第七日目の宿泊地がミラノ市内にあることが約定されたとの控訴人の主張は、これを採用することができない。

二前記一の事実によれば、被控訴人が控訴人ら旅行参加者との間に締結した本件旅行契約は、前記旅行業約款(乙第五号証)第二条(1)に規定されている「主催旅行契約」に該当するものということができるから、被控訴人は、右約款に従い、控訴人その他の旅行者に対し、被控訴人があらかじめ定めた旅行日程、旅行条件、実施月日及び販売価格に基づいて、運輸機関、宿泊機関その他の旅行サービス提供機関の旅行サービスの提供に関し、包括して代理、媒介又は取次をなし、右に付随して、旅行者の案内、旅券の受給手続の代行その他旅行者の便宜となるサービスを提供すべき義務を負つたものというべきであり、また、右約款によれば、被控訴人は、運輸機関等の情況その他の事由により旅行の円滑な実施をはかるためやむを得ない場合には、旅行者の承諾を得て旅行契約の内容の全部又は一部を変更することができる旨規定されていることが認められる(第一〇条(2)の規定。この規定があることは当事者間に争いがない。)。

そこで、本件旅行契約の内容の変更の経緯について検討するに〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は、本件旅行を実施するにつき、往路はエアフランス二七三便の北回り便(東京九月六日午後九時発)を利用し、帰路はエアフランス二七四便の北回り便(パリ九月一六日午後四時三〇分発)を利用する計画を立て、訴外株式会社日本旅行社に依頼してエアフランスとの折衝を図り、昭和五二年九月五日までの間に本件旅行の参加者三四名のほか右各便に同乗する他の旅行者を含め合計四五名の座席の予約を済ませ、同日までに往路及び帰路の各北回り便四五名の航空券を手配したこと。ところが、被控訴人は、同日中、日本旅行社から、「帰路のエアフランス二七四便は、過剰予約のため既に満席になつていることが判明したので、その代りにエアフランス一九二便の南回り便(パリ九月一六日午後一時発)を確保したが、それでよろしいか。」と連絡を受けたこと。被控訴人は、出発の日時が迫つていたうえ、パリに滞在中改めてエアフランスと折衝して北回り便を確保し得る余地もあるものと考え、日本旅行社の右申入れを承諾して、本件旅行の帰路を南回り便に変更することとしたこと。

(二)  被控訴人は、本件旅行が「主催旅行」であつたことから、約款に従い、添乗サービスを提供することとし、本件旅行の添乗員として訴外杉浦愛久及び訴外大島某の二名を付き添わせることとしたが、右添乗員らには、同年九月五日午後六時ころ添乗業務につき打合せをした際、帰路が南回り便に変更になつたことを知らせたものの、大島がパリにおいてエアフランスと折衝し北回り便を確保するために努力してみることとし、その折衝結果が判明するまで、旅行者には帰路が南回り便に変更になつことを知らせないでおくように指示したこと。被控訴人は、同年三月から四月にかけてエアフランスを利用して団体旅行を斡旋した際、臨時に北回り便を利用することができたことがあつたので、本件旅行に際しても、エアフランスが他の航空会社と提携するなどして北回り便の空席を提供してくれるかも知れないと期待していたこと。

(三)  被控訴人は、同年九月六日、エアフランスの東京国際空港事務所において帰路をエアフランス一九二便の南回り便とした航空券(全行程のものを一綴りとしたもの)を受け取つたが、本件旅行の参加者らには帰路に変更が生じたことを説明せず、飛行機に乗り込む際には塔乗券を各旅行者に交付しただけで、航空券を交付することはしなかつたので、控訴人ら旅行者は、全員が帰路の変更を知らなかつたこと。

(四)  本件旅行の参加者らは、九月七日午前六時四〇分(現地時間、以下同じ。)パリに到着し、同月一〇日午前九時五〇分エアフランス九五九八便でパリを出発してミラノへ向かつたこと。その間、右参加者らは、パリに滞在してパリ皮革産業国際見本市を視察し、被控訴人の添乗員大島は、終始エアフランスの事務所に赴いて、北回り便を確保すべく折衝を重ねたが、その目的を達し得なかつたこと。

パリからミラノへ向かう際、フランスからの出国手続が厳重に行われたので、被控訴人の添乗員杉浦らは、本件旅行の参加者ら各人に対し、塔乗券とともに航空券を配布せざるを得なかつたこと。その際右参加者の一部の者が、航空券綴りの最終部分にエアフランス一九二便の南回り便の航空券が綴られていることに気付き、訴外梅田秀行(神戸市居住者)らは、杉浦らに対し、南回り便では困る旨を申し出たこと。

その他右参加者の大部分の者は、南回り便では時間が長く掛かり、疲れるし、不安であるなどと申し立て、一部の者は激怒して騒然とした状態に陥つたので、大島及び杉浦の両名は、同月一〇日午後一時過ぎころ、ミラノ市内のレストランにおいて昼食を取つた際、参加者全員に対し、帰路が南回り便に変更された事情、パリにおいて北回り便を手配しようとしたが、その目的を達し得なかつた事情等を説明し、帰路が南回り便に変更されたことにつき謝罪して、その場を収拾したこと。

(五)  本件旅行の参加者らは、九月一〇日午前一一時一〇分ミラノに到着し、同月一三日午前、ミラノからフローレンスへ向け、バスで出発したが、その間数名の者がミラノ市内に宿泊し、大部分の者はストレッサのホテルレジナルパレスに宿泊して、ミラノの国際靴・皮革製品見本市を視察したこと。被控訴人は、右参加者らのためホテルレジナルパレスと見本市の会場を往復するバスを用意したが、控訴人は、右バスを利用しなかつたこと。なお、ストレッサとミラノ間には電車とバスの交通機関があり、特急電車で五五分、バスで約九〇分を要するものであつたこと。

(六)  本件旅行契約における旅行日程では、九月一四日及び一五日の二日間ローマ市に宿泊し、一六日午前一〇時一〇分エアフランス六五一便でローマからパリへ向け出発することとし、その間ローマ市内の自由視察等をすることが予定されていたが、九月一六日午後一時パリ発一九二便の南回り便に乗り込むためには、一五日中にローマを出発することが必要となつたので、被控訴人の添乗員らは、本件旅行の参加者らに対し、ローマ市内の自由視察を一五日の午前中で打ち切ることを指示し、右参加者らは、同日午後六時ないし七時にローマの空港を出発して、同日午後一一時ころパリのホテルに到着したこと。

(七)  本件旅行契約における旅行日程では、九月一六日午後四時三〇分エアフランス二七四便の北回り便でパリを出発し、アンカレッジを経由して、一七日午後五時一五分東京国際空港に到着することが予定されていたが、帰路が南回り便に変更されたため、控訴人を含む本件旅行の参加者らは、九月一六日午後一時エアフランス一九二便の南回り便でパリを出発し、テヘラン、ニューデリー、バンコックを経由してホンコンに至り、ホンコンで中華航空機に乗り継ぎ、右参加者らのうち控訴人を含む一部の者は、ホンコンからタイペイを経由して、一七日午後八時ころ東京国際空港に到着したこと。しかも、控訴人ら神戸市居住の者は、同日の大阪行最終便の飛行機(全日空)に間に合わなかつたため、被控訴人がその負担において用意したパシフィックホテルに宿泊し、一八日午前七時五〇分発の全日空機で帰宅の途に就いたこと。

〈証拠判断省略〉

三前記二の事実によれば、被控訴人は、控訴人に対し、本件旅行契約に係る旅行日程に従い、運輸機関及び宿泊施設等のサービスの提供に関し、包括して代理又は取次等の業務をなすべき義務を負つたものであるところ、被控訴人が、本件旅行の第一〇日目(九月一五日)の宿泊地につきローマ市をパリ市に変更したこと及び本件旅行の帰路につきエアフランス二七四便の北回り便をエアフランス一九二便の南回り便に変更したことは、いずれも旅行日程に変更を来たすものであることが明らかであるから、本件旅行契約の内容の一部を変更したものというべきである。

(一)  そこで、被控訴人は、本件旅行契約締結の際、本件旅行の参加者に対し、交通機関の都合により日程の変更があり得ることを説明し、控訴人を含む参加者らの承諾を得ていたと主張し、〈証拠〉は、旅行日程につき交通機関の都合により発着時刻の変更が生ずることがある旨及び帰国の際の到着時刻につきフライト変更の場合は被控訴人から留守家族に連絡する旨の記載があるのであるが、〈証拠〉を加味して考慮しても、控訴人が被控訴人に対し本件旅行契約の内容を変更するにつき事前に包括的に承諾を与えていたとの事実を認めるのに十分でなく他に被控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、本件旅行の参加者らが、九月一〇日、帰路が北回り便から南回り便に変更されたことを知り、被控訴人の添乗員大島某及び杉浦愛久に対し、不満と不安を申し向けた事実を照らせば、右参加者らは、右のような帰路の変更につき事前に承諾を与えていなかつたものと見るべきである。殊に控訴人は、本人尋問において、事前に帰路が南回り便であることを知つていたならば、本件旅行契約を解約して、本件旅行を取り止めたはずである旨供述しているのである。

したがつて、被控訴人の右主張はこれを採用することができない。

(二)  次に、被控訴人は、前記旅行業約款第一〇条の規定は、当該旅行契約における本質的事項について適用されるべきものであるところ、本件旅行契約における契約内容の一部の変更は本件旅行の本質的事項に該当しないから、右約款第一〇条は本件旅行契約につき適用されるべきでないと主張する。しかし、被控訴人の旅行業約款(乙第五号証)の各規定を精査しても、同約款の規定する旅行契約の内容につき、本質的事項に該当する部分とそうでない部分とがある旨を定めた規定は見当たらないし、かえつて、右約款第二条(1)に「主催旅行契約とは、被控訴人があらかじめ旅行日程等を定め、参加者を公募し、運輸機関、宿泊機関等の旅行サービスの提供に関し、包括して代理等をすることについて旅行者と締結する旅行契約をいう。」旨規定し、右約款第一〇条(3)に「やむを得ない事由により定められた旅行日程に従つた旅行の実施が一部不可能になつた場合」との文言を用いて規定していること等に照らせば、被控訴人があらかじめ定める旅行日程は当該旅行契約における契約内容の主要な事項に該当するものとみるのが相当であるから、本件旅行契約における前記のような旅行日程の変更は、約款第一〇条に規定する「旅行契約の内容の一部の変更」に当たるものというべきである。

もつとも、本件旅行の主たる目的は、パリ及びミラノにおける前記各見本市の視察にあつたものといえないわけではないけれども、本件旅行契約における旅行日程は東京国際空港を出発して、同空港に帰着するまでの全部の日程を包括するものであり、その各部分ごとにそれぞれの意義を有するものということができるのであるから、帰路を北回り便から南回り便に変更するようなことは、既に目的を達し得た前記各見本市の視察に消長を及ぼすものでないとして、これを軽視してもよいということにはならないものというべきである。現に帰路をエアフランス二七四便から同一九二便に変更したことにより、九月一五日午後のローマ市の自由視察の日程が取消され、一七日の東京国際空港到着の時刻が遅くなり、帰路に六時間一五分を下らない長時間を余計費やさせることになつたのである。

したがつて、被控訴人の右の主張も失当であるから、これを採用することができない。

(三) 被控訴人は、前記約款に従い、運輸機関等の情況等により旅行の円滑な実施をはかるためやむを得ない場合には、旅行者の承諾を得て旅行契約の内容の一部を変更することができるのであるが、被控訴人は、本件旅行契約の内容の一部を右のとおり変更することにつき旅行者であつた控訴人の承諾を得たという主張をしていないし、また、全証拠を精査しても、控訴人が右変更につき承諾を与えたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、控訴人初め本件旅行の参加者らは、被控訴人の添乗員らの指示に従つて、九月一五日午後以降の旅行日程を変更し、一七日午後一時パリ発のエアフランス一九二便の南回り便に塔乗して帰国の途に就いたのであるが、右事実をもつて、被控訴人が、南回り便とすることにつき控訴人らの承諾を得たものと認めることはできない。けだし、事情のいかんによつては、急に旅行先で参加者に事情を説明して承諾を得なければならない場合もあろうが、本件は、そうではない。前示のとおり、すでに東京出発の前日、帰途が南回り便であることが判明していたのに、被控訴人は出発前、参加者にこれを告げなかつた。〈証拠〉によれば、参加者の一人が、往路アンカレッジにおいて、免税品を買つてこれを同所に預け、帰路にこれを受け取る手続をした際、添乗員がこれを目撃しながら、故らに、帰路は南回りであることを秘していた事実すら窺われる。パリに着いてから、北回り便の確保に努めるから、発表を一時差し控えたというのも一つの方法である。しかし、それは右確保ができることに賭けたものと解すべきであつて、右確保が不成功に終つた以上、出発前に発表しなかつたことの結果は、被控訴人が負うべきものである。本件旅行参加者らの右の行動は、添乗員らの事情説明に納得し承諾したというよりも、被控訴人が、旅行先で急に、帰路を右一九二便の南回り便に変更した旨通告したことに伴い、帰国せざるを得ない参加者らにおいて、右変更に合わせるためやむを得ず執つたものと見るのが相当である。

四したがつて、以上の事実に徴すれば、被控訴人は、控訴人に対し、本件旅行契約に基づく債務の本旨に従つた履行をしなかつたものというほかない。

そこで、被控訴人は、本件旅行契約における内容の一部を変更したことは被控訴人の責に帰すべき事由に基づくものでなかつたと主張する。

被控訴人が、本件旅行を実施するにつき帰路をエアフランス二七四便の北回り便とする計画を立て、前記日本旅行社に依頼して本件旅行の参加者を含む四五名の座席の予約を済ませ、昭和五二年九月五日までに右二七四便の北回り便四五名の航空券を手配したこと。被控訴人が、同日中に日本旅行社から、右二七四便の北回り便が過剰予約のために満席になつていることが判明したと知らされて、やむを得ず帰路をエアフランス一九二便の南回り便に変更することとしたこと。被控訴人は、本件旅行の添乗員がパリ滞在中にエアフランスと折衝して北回り便を確保し得るものと期待したが、その目的を達し得なかつたこと、以上の事実は既に認定したとおりである。そして、証人杉浦愛久及び同矢作富士雄の各証言によれば、海外旅行を計画する旅行者は、出発時の数箇月前に飛行機の座席を予約していても、出発時までに予約を取消すことが多いので、航空会社の従業員は、しばしば所定の座席数を超える数の予約を受け付けることがあり、そのため過剰予約の現象が出現して、出発前に航空会社においてその予約を履行できないことが生ずること。被控訴人が企画した主催旅行においては、このような過剰予約は滅多に起こらなかつたが(昭和五二年中のヨーロッパ団体旅行三〇回中本件旅行を含む二回が過剰予約となつた。)、本件旅行においてその過剰予約が生じたこと、以上の事実を認めることができる。

ところで、被控訴人は、本件旅行契約においては右のような過剰予約が生じたため帰路の変更を余儀なくされたものであると主張するのであるが、〈証拠〉によれば、被控訴人の依頼を受けた前記日本旅行社は、昭和五二年九月五日に至つて帰路をエアフランス二七四便の北回り便とする航空券を発行したが、直ちにそれが二重にわたる発行であつたことを知り、同日中に右航空券の発行を取消して、帰路をエアフランス一九二便の南回り便とする航空券を発行した事実を認めることができるところ、〈証拠〉によれば、被控訴人は、本件旅行の参加者に対し、出発日の二〇日前を参加申込みの締切日とし、申込金五万円を申込みと同時に支払うことを求めたうえ、旅行開始日以前に運賃・宿泊料等の旅行経費及び所定の取扱料金の全部を支払うことを求めていた事実を認めることができ、しかも、控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、同年八月上旬ころ本件旅行に参加することを決め、間もなく所定の申込金及び旅行費用等を被控訴人に支払つた事実を認めることができるから、右の事実に照らせば、被控訴人としては、本件旅行に関する航空券の購入手続を旅行の出発間際まで遷延することなく、早期に手配して航空券を確保しておいたならば、出発日の前日に至つて過剰予約を理由とする航空券の取消しを受けるというような事態の発生は容易に避け得たものと推認することができるのである。

してみれば、被控訴人が、航空会社における航空券の過剰予約により帰路を南回り便に変更することを余儀なくされたからといつて、被控訴人が本件旅行契約の内容の一部を変更するに至つたことにつき被控訴人に責に帰すべき事由がなかつたものということはできないものというべきであるから、被控訴人の前記免責事由が存在したとの主張も、これを採用するに由ないものである。

五そうすると、被控訴人は、控訴人に対し、本件旅行契約の不完全履行により同人に生じた損害を賠償すべき義務がある。

(一)  控訴人は、本件旅行の旅行費用として被控訴人に支払つた三九万八〇〇〇円が被控訴人の不完全履行による損害であると主張するが、被控訴人は、本件旅行契約を不完全ながらも履行したのであり、控訴人は、本件旅行契約に基づく視察旅行等の目的をほぼ達し得たものというべきであるから、控訴人が旅行費用として支払つた金員をもつて、被控訴人の不完全履行に起因する損害に当たると見るのは相当でない。したがつて、控訴人の右の主張は採用することができない。

(二)  控訴人は、本件旅行の前後に東京・大阪間を往復するために支払つた航空運賃一万九六〇〇円が被控訴人の不完全履行による損害であると主張する。

ところで、〈証拠〉によれば、被控訴人は、本件旅行に関する航空券を大阪市において発行を受け、その航空券は、大阪・東京間の往復の全日空便を利用することができるものであつたことを認めることができる。しかし、〈証拠〉によれば、本件旅行の案内書及びプログラムには、集合日時・昭和五二年九月六日午後六時三〇分、集合場所・東京国際空港国際線エアフランスカウンター前、九月一七日午後五時一五分東京国際空航着後解散、と印刷されていることを認めることができ、〈証拠〉によれば、本件旅行契約においては、本件旅行の参加者は、東京国際空港に集合して、同空港で解散するものと約定され、同空港と各自宅間の往復に要する費用は各参加者の負担とするものと約定されたことを認めることができる。してみれば、控訴人主張の右航空運賃は同人が自ら負担すべきものであつたというべきであるから、これを被控訴人の不完全履行による損害であるとする控訴人の主張は失当であり、採用の限りではない。

(三)  控訴人は、被控訴人の不完全履行により精神的苦痛を受けたので、これを慰藉するには二〇万円が相当であると主張する。

前記認定のとおり、本件旅行契約の内容の一部が変更されたことにより、控訴人は、九月一五日午後のローマ市内の自由視察ができず、同日夜ローマ市に宿泊することができなくなつたものであり、また、九月一六日午後一時パリ発の南回り便に塔乗してテヘラン、ニューデリー、バンコック、ホンコン、タイペイを経由し、九月一七日午後八時ころ東京国際空港に到着したものである。そして、控訴人は、本人尋問において、「九月一五日ローマ市内に宿泊することができたら、夜のローマも観光できたであろうし、ローマからパリへの臨時便に塔乗するための時間を浪費することもなかつたであろう。かつて南回り便を利用したとき苛酷な経験をしたことがあつたので、出発前に帰路が南回り便になることを知つていたら、本件旅行には参加しなかつた。南回り便は経由地が多く、飛行場に着いても機内で待たなければならず、駐機時間が長いときには苦痛を感じたし、離着陸の回数が多いので、事故発生への不安も増した。また、ハイジャックに対する恐怖も少なくなかつた。」旨供述するのであるが、前記認定のとおり、本件旅行の参加者の大部分の者が南回り便に変更されたことを知つて不安を訴えたこと及び本件旅行直後の昭和五二年九月二七日にパリ発東京行の日航機がボンベイ市上空で日本赤軍に乗つ取られたこと等の事実に徴すれば、控訴人としては、右に供述する程度の精神的苦痛を受けたものと認めるのが相当である。

そこで、控訴人作成部分の成立に争いのない乙第七号証(損害填補額と題する書面)、右認定の事実その他諸般の事情を考慮すれば、控訴人の被つた精神的苦痛を慰藉するのには五万円を賠償させることをもつて相当であるというべきである。

六したがつて、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し、損害賠償金五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五三年一月一一日(これは記録上明らかである。)から完済に至るまで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、これを認容すべきであるが、その余は理由がなく、これを棄却すべきである。

よつて、控訴人の本訴請求を全部棄却した原判決は不当であり、控訴人の本件控訴は一部理由があるから、原判決を変更し、控訴人の本訴請求につき一部を認容して、その余を棄却することとし、訴訟の総費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 長久保武 加藤一隆)

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